山五十川の玉杉(鶴岡市)
 玉杉の名は、こんもり茂った樹形が球状をなしている故の命名である。周囲を切り開いたのは、その姿がよく見えるようにとの配慮と思われる。しかし、あまりに巨大すぎて、傍らに立ってみたのでは、太い幹と下枝しか視界に入らない。(温俣川を挟んで、反対側から遠望すると、「玉」杉の形がよくわかる)斜面上を太い根が四方に走り、巨体をしっかり支えている。200段以上の長い階段を登り切ると圧倒的な迫力で迎えてくれる。今回の探索会で会員に聞いてみたら全員がこの杉が一番と答えた。またいつの日か訪ねてみたい巨木だ。(表紙)
(推定樹齢1500年、幹周約11・4㍍)

 

 

東根の大ケヤキ(日本一) 山形県東根市本丸南1丁目1番1号
推定樹齢 1,500年 幹周16㍍  国指定天然記念物       参考 東根市観光情報   

 

「東根の大ケヤキ」について、国の文化財審議会専門委員で東京大学名誉教授本田正次博士の「植物文化財」では、推定樹齢一千年以上となっている。
 近年、市当局の事業で老木樹勢活力のため、植物学的に環境改善がなされ、県立林木試験場の大津正英農学博士によれば、樹齢千五百年以上であり、今後、数百年は樹勢ますます盛んであって、全国の「ケヤキ」番付の「東の横綱」の座が保障できよう、と太鼓判を押されたという。とかく老樹・巨木のたぐいが邪魔者扱いにされ、次々と姿を消していく昨今、まことにうれしいことである。
 東根は歴史の町であり、1347年、今から671年前、小田島長義氏が始めて、この地に東根城を築城したと伝えられ、その後、坂本氏、里見氏が代々城主となり、1622年最上家改易に伴い東根城も廃城、1661年に城は破却され、その跡地に愛宕神社が建立、周辺は畑地となった。
 江戸末期の松前藩東根陣屋絵図をみると、現在の「大ケヤキ」と明治18年に枯れたといわれる「雄ケヤキ」の他に、旧本丸、二の丸周辺に「ケヤキ」22本が植栽されていたことがわかる。
 今、古い時代からのケヤキは「東根の大ケヤキ」と宮ノ前三叉路の安達勇家のケヤキ(樹齢約800年)だけである。小学校の大ケヤキは、これまで入学、卒業していった児童生徒の心の支えであり、かつ希望の象徴でもある。

大井沢の大栗(日本一)

クリ(シバクリ)大井沢の大栗

(日本一)
推定樹齢 800年
幹周 8.5㍍
西川町指定天然記念物
参考 西川町商工観光課

平成22年11月19日の実測の結果、樹高は16・82㍍、目通り(地上1・5㍍)の幹囲8・48㍍、根周は9・48㍍。推定樹齢は西川町では800年と同定している。
 大栗は寒河江川左岸の大井沢地区の中心地中村集落の南西、標高620㍍の山中に位置している。
 大栗は地上3~4㍍で、5本の主幹に分かれている。老樹では病虫害の発生も多く、幹の直径が1㍍を超える木は全国的にも稀な存在で、平成8年に大栗は『幹周り日本一位のくり』として全国発信された。
 大井沢の大栗は「クリ」としては異例の太さの幹であり、樹勢は旺盛で、現在も多くの実をつけている。

「幻影の森」と「幻想の森」の巨人たち
 この森を案内してくれたのは、最上山岳会 会長の登山家・坂本俊亮(さかもと としあき)氏。坂本氏は、「山形県 最上の巨樹・巨木」の著者。最上は「巨木王国」の名がふさわしいと、自信を持って語る。
 特に今回の「幻影の森」は、獣道のような、急峻な登りが続く場所。雨が降ったりすれば登山を諦めなければならない。ザイル等持参するのをお薦めする。
 案内人がいなければ辿り着くことが難しい森は、まさに幻影の世界。屋久島にも劣らないほどの巨木が密集している。
 また、杉の巨木の洞には、杣人が祀ったと思われる証も数カ所にあった。辺りは、神代杉とも山内杉とも呼ばれる土湯杉の木々に陰森として閉ざされている。下の道
路から、山道を10分登るとこの辺で一番大きい「黒杉」が立ちはだかる。急な斜面に育った株立の巨木で、その量感には圧倒される。
 「幻想の森」はJRの吉永小百合のポスターで有名になっている。この森の中央に、のたうったように見える巨大な根のような主幹から、何本かの幹を伸ばしている巨大な杉を「幻想大杉」と呼んでいる。一見して、この森の王であることが理解される。主幹が折れ、地上1・5メートルから数本空を突いて伸びているのである。主幹さえあれば素晴らしい巨木だ。幹周りを計測したら17㍍〜18㍍と計測されたという。縄文杉の幹周りは16・1㍍と公表されているが、それを上まわって良いのかという人もいるという。
    参考「山形県 最上の巨樹・巨木」
                         坂本 俊亮 著

権現山の大カツラ(日本一)
推定樹齢 1,000年以上
幹周 20メートル
参考 最上地域観光協議会

 権現山は雨乞いや日和乞いのために、地域の人々が厚く敬う作神の山であった。
 村の狩人が、ツキノワグマの通り道にあたるこの一帯を歩いていて、大カツラを発見したという。
 幹回りは20メートル、2001年の環境省の発表により日本一として登録された。
 日本の巨樹全体でも、全国6位。この巨大カツラは、空に向かって龍のようにいくつもの幹を伸ばし、幹には龍顔とも見えるコブの造形も見える。高さは30メートルを超え、枝ばりも尋常ではない。下部には、鱗のような無数のコブを浮かべ、中心部は空洞になっているため数人が立って入れ、通り抜けもできる。 近くに炭焼きの窯の跡があるが、炭焼きの道具をこの巨樹の空洞に収めていた。別名は法田の巨大カツラ。権現山には天狗が住むとされ、その天狗は神室連峰の天狗森との間を繁く往来し、権現山に住む大蛇は小国郷(おぐにきょう)の主だったと云う。

東法田の大アカマツ(日本一)
最上郡最上町東法田
推定樹齢 500年〜600年
幹周 7.7メートル
問問合せ 最上町教育委員会
参考 ブナと巨木のもがみ回廊
 巨木の里探訪日本一の幹回りを誇る東法田の大アカマツは、道路筋から眺めると、東法田仲神の東側の山の中程に、大きな傘を広げたように濃緑の枝を広げているので、容易に識別できる。
 樹幹には大きなコブがあり、威厳を感じさせる。この巨樹は菅家の氏神である山神様のご神木として何代にもわたって守り育てられてきた。半径2キロ以内に日本一の「権現山の大カツラ」幹回り20メートル、日本十数位の「末沢の大カツラ」があり、一帯は荘厳な雰囲気に包まれた、巨木群の密集地となっている。仲神地区のすぐ奥の集落が平家落人が隠れ潜んだという窓塞(まどふたぎ)集落で、追っ手の探索を逃れて窓を塞いで暮らしたと云う。東法田は秋田方面に通じる軍沢(いくさざわ)越えの入り口である。小国大工は、江戸時代、天下に名をはせたが、出羽の勘七初代杢竜は隣部落の初ヶ沢の生まれである。諸国の寺社建築に妙技をふるった杢竜も少年期は東法田の大アカマツを見て過ごしたことであろう。

曲川の大杉(小杉の大杉)
山形県最上郡鮭川村曲川
鮭川村指定天然記念物
推定樹齢 1,000年
幹周6.3メートル
参考 鮭川村観光協会樹齢は俗に1000年といわれ、幹が三又状に分かれており、その根元には山神様が祀られている。
 「村内の小杉地区にある大杉」ということから、小杉の大杉という愛称で村民に親しまれてきた。
 映画「となりのトトロ」のトトロに形が似ていることで有名になり、夫婦杉、縁結びの木、子宝の木とも言われ、パワースポットとしても知られている。村内で一番といってもいいほどの観光スポットであり、年齢層問わず多くの観光客が訪れる。
 大地の田圃中にそびえ立つ姿は雄大荘厳で、小杉の大杉に関する言い伝えが多く存在する。なかでも新庄藩初代藩主が体験したとされる出来事が代表的で、「新庄古老覚書」に記されている。
 昔、新庄藩の殿様が曲川に正月鷹狩にいったところ、にわかに大吹雪となり、先達の案内で杉の大木の下で風雪を凌いでいた。そのときの人数は15人連れで、木陰で一行が二列に並んだが、枝張りが良いため少しも風があたらなかった。
 しばらくして大吹雪もやんだので、その木の下からでて10間ほど歩き、振り返って大木を見ると、葉が茂り幹も見えない大木であった。殿様は大変不思議がり、「これはどうした大木だ」と先達の村人にたずねた。村人は「この杉はお目にかけることはもちろん、話にも出してはならない木なのです。ただ、今は大吹雪で凍死寸前だったので、やむなくこの木の下にご案内しました。この木は曲川の大杉と言って、昔は2本あったのですが、1本は最上義光公がこの大杉の噂をお聞きになり、大勢の人夫をだして切り倒してしまいました。それからというもの、この大杉の西沢目の村には悪いことばかり起こるようになり、現在でも貧乏なのです。今はお殿様がほど近い新庄におられますので、もしこの木がお目にとまりご用材になってしまえば、西沢目の村はなおいっそう貧困になってしまいます故、この木の話は申し上げませんでした。なにとぞこの木のお話はなさいませぬよう」と答えた。
 吹雪もおさまり、お殿様はそのまま帰ったが、帰り際にまた大杉を振り返ってみると、不思議なことに大杉は普通の杉と同じように見えた。
 その後、この大杉は神木として現在まで大切に守られてきたと云う。