三春の滝桜 日本三大ザクラ

権現堂のしだれ桜(上山市)
 権現堂地区の歴史を見守り、共に成長して来た桜は、春一番に絶景の地にしだれ下がった枝に満開の花を咲かせる。さながらこの姿は未来を担う若者が成人を祝うふりそで着を着用した心操のごとくの「ふりそで桜」である。
(推定樹齢500年幹周6・15㍍)

釜の越の勝弥桜
 八幡太郎義家がこの辺りに布陣した際、大石を用いて竈を築き、兵糧を炊き出したとする伝説がある。樹下に見える大石がその石であり、釜ノ越の地名は、その故事に因むと伝えられている。勝弥桜は枯死した釜の越ザクラの子供で、隣りにある紅色の濃い桜。
(推定樹齢80年幹周6・6㍍)

眺陽ざくら(南陽市)
 置賜盆地を一望できる高台にある公園が「双松公園」。ここには「眺陽桜」「慶海桜」のシダレザクラの名木が2本ある。坂道を上った先の広場にあるのが眺陽桜。高台の上にあり、南陽市を一望できる場所にあることから眺陽桜と名付けられた。
(推定樹齢150年、幹周3・1㍍)

草岡の大明神ザクラ(長井市)
 国指定天然記念物。個人宅に植えられた桜としては国内最大級の大きさを誇っている。伊達政宗が鮎貝の初陣で敗北を喫した際に、この桜に身を隠し生き延びたという伝説があり、「桜子の散り来る方を頼み草岡にて又も花を咲かせん」と詠み、後に家臣の横山勘解油(かげゆ)を遣わせ、手厚く保護にあたらせたという話も残っている。
 地元では、春の農作業の種まき時に桜が開花することから、古くから「種まき桜」と呼ばれ親しまれてきた。
(推定樹齢1200年、樹高14㍍)

子守堂のサクラ(白鷹町)     
 この地は、鮎貝氏居城の一部にあり、樹下の「子守堂」には、病弱な城主の子供を無事に育てた後、忽然と姿を消した賤しい身なりの童女(実は仏の化身)の物語が伝えられている。(推定樹齢1020年、幹周7・2㍍)
後庵ザクラ(白鷹町)
 その昔、鮎貝城の北側には一軒の医者(庵)があった。城の後方に存在することから「後庵」と呼ばれており、その傍らには桜の大樹があったとされる。
(推定樹齢680年幹周、5・6㍍)

伊佐沢の久保ザクラ(長井市)
 国指定天然記念物のエドヒガン、
日本有数のエドヒガンの古木。坂上田村麻呂と地元の豪族の娘お玉との悲恋の伝説が残っている。江戸時代には枝の広がりが四反にも及んでいたことから、四反桜(よんたんざくら)とも呼ばれていた。
(推定樹齢1200年、幹周14㍍)

八乙女種まき桜(白鷹町)
 八椿太郎義家東征の折、崇拝する京都の石清水八幡を遥拝し、この丘に弓矢を立て奉ったのが起源とされる古社。その際、8人の乙女に舞楽を奉させたことから「八乙女八宮」と呼ばれている。神社のある丘一帯は、荒砥城址として史跡に指定され、本丸跡、空堀跡、水堀の一部が残っている。毎年、春の苗代の種まきの頃に花が咲くので種蒔き桜と呼ばれている。
(推定樹齢500年、幹周4・5㍍)

最後の桜

薬師ザクラ

口の手ザクラ

高畠町第一中学校の桜